「ねっとしてぃ回想録2080」 2024.2.5 豪雪

あれはまだワシが、50半ば、経営者を志して数年の血気盛んな頃の話じゃった。瞼を閉じると、まるで昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来るんじゃよ。

その夜、都心では稀にみるほどの吹雪に襲われニュースでは盛んに「不要不急の外出は控えて下さい」と盛んにアナウンスされておったよ。 

 

そんな中、吹雪も雷も何にも恐れる事を知らない「創新魂」を宿した者たちが続々と、いまや伝説的な店「PAGLIACCIO」 へと集っていったんじゃ。彼らにとって「不要ではない。不急でもない。我々はこの日、この時、この場所に絶対に行かなければならないんだ」という夜だったんじゃ。

 

確かあれは・・・そう、「創新大交流会」と銘打たれておったよ。始まりこそ、久しぶりに会うかつての恋人のように何となくよそよそしい空気が流れておったが、そこはやはりソウルメイトってやつなんじゃ、すぐに溶ける位の熱気を思い出しその場の空気をみるみる熱く変えていってしまったんじゃ。

 

当時の市長は、確か、そうそう原田女史じゃったの。

 

荒くれども、変わり者の多い経営者の集まりの中で威風堂々かつしなやかにその場を取り仕切っていたのが印象的じゃった。
ワシはその日、撮影係を拝命しておったから、ひとりでも多くの先輩方と同志のご尊顔を収めるべく今となっては何とも古典的な「アイフォン」で撮影しまくったもんじゃ。

 

その夜、全ての人達が嬉しそうに、楽しそうに笑っておったよ。

 

その中でも群を抜いて笑顔が輝いていた人が2人おった。そう、ワシらのレジェンドである「高良高塾長」「高良明代表」じゃった。かつての教え子たち、同胞といってよい人たちとの再会に見ているこちらが心配になるくらい、その夜を楽しんでおったし、優しい笑顔を振りまいておったもんじゃ。

 

そうそう、この集いには頼りになる発起人がおったんじゃよ。
今もまだ元気にしておるかもしれん。卒塾生の中でも飛びぬけた知名度をもっておった「名津井社長」「矢島社長」のお二人じゃ。

 

確かワシは集いの最後にこう聞いたんじゃ。「名津井社長、思っていた通りの会になりましたか?」答えはこうじゃったよ。
「いや、想像以上のものにしてくれた。ありがとう」さすがの一言じゃと感心したものじゃ。

                                                   

 

こういった催し事は、司会を預かる人の手腕がモノを言うもんじゃが、古山社長と小野社長はその大役を見事に果たしておったよ。「生真面目」と「いい加減」の組合せがそれはそれはいい味を出しておった。

さらに、さすが経営者の集いじゃの。様々なプレゼントもその夜を大いに盛り上げておったのを憶えとるよ。

有限会社シロヤクリーニング”の古山社長からは、衣替えの季節にぴったりな、来店不要の”ネット宅配クリーニング(衣類5点セット)キット”を1名様に。
https://tsumugu-cleaning.com/

 

株式会社スドージャム”の須藤社長からは、100%フルーツ(砂糖不使用)で作った、こだわりジャムの詰め合わせを2名様に長野から送って頂きました!
http://www.sudo-jam.co.jp/

 

株式会社グロービア”の村瀬社長からは、サプリ業界の常識を覆す、治験データのしっかりした認知症の予防/改善効果が期待されるサプリメントを3名の方にプレゼント!
https://www.glovia.co.jp/

金子石油店/カフェ「UCHIRUKA」の笠井副社長より、3年連続楽天市場1位の人気商品「艶とろチーズケーキ」を1名様に!
(大渋滞の中、3時間かけて副社長自らご持参下さいました!)

 

株式会社サッシペレレ”の小野社長からは、有名なボサノバ歌手、小野リサ所縁のブラジル音楽と料理の名店”サッシペレレ”のライブご招待券を1名様に。
https://www.saciperere.co.jp/

今の時代では、本当に貴重になってしまったものもあるのう。本当にいい物ばかりじゃった。

ワシももう110歳になってしまった。1997年の設立から80年を超えた創新ネットシティの歴史の中でも本当の意味で「共に学び共に創り共によろこぶ」を体現できた夜だったと、今でもつくづく思うのじゃ。

 

あの夜、ワシが一番ハッキリと憶えているのは、この集いの実行委員長として八面六臂の働きをしておって最後の方などはまさに孤軍奮闘に近い活躍の、五十嵐社長じゃのう。
ややもすると「大人しそうな」印象を持たれてしまう方じゃったが、この夜、実行委員長としての挨拶は本当に男らしい、大変に素晴らしいものでワシなどは心に響き渡った事を憶えておるよ。

 

そうじゃそうじゃ、忘れてはならん猛者たちがおったよ。これほどの集いを限られた時間の中で、それぞれの社業に全力を傾けながらもやり遂げた男たち、女たちがおったよ。彼らこそ本当の「創新魂」の象徴と言ってもいいのかもしれん。

 

見て欲しい。この真剣な眼差しを。まるで映画のワンシーンの様じゃのう。

 

思えば、あの伝説の夜からもう56年も経ってしまったんじゃのう。

 

あの時、あの場で「創新魂」へふたたび熱い熱い想いを注ぎ込み、瞬く間に世界の舞台へ打って出た経営者も何人も何人もおったのは全然不思議な事ではないじゃろうな。

400年以上の社歴は驚異的じゃ。宇津社長も光り輝いておる。

 

 

この人には日本は狭すぎたんじゃ。岸本社長はスーパーレディそのものじゃったよ。

 

その鋭い眼光は既に世界を睨んでいたのじゃな、山崎さま。

 

漏水問題に国境は存在しない!パワフルな勘太郎社長の口癖じゃったよ。

 

 

 

「創新魂」「創新イズム」の正統たる後継者として、朋宏さんも頑張っておった。
まさかワシよりも先に逝ってしまうとは、たまさか驚かされたもんじゃ。

 

あの夜の事を思い出すと、老骨のワシの胸には一つの想いがふつふつと蘇るんじゃよ。
それは、高良高塾長と高良明代表の手により始まった「創新」が、塾や税理士法人、セミナーや講義、それに続いた高良朋宏のONEといった、確かな足跡と成果が、あのような形で沢山の人の笑顔というものになって戻ってくるものなんじゃと。
一流一番一生懸命を貫いた人々のなんと尊いことか。ワシの残された時間であのような素敵な夜をもう一度味わいたいと思うのじゃ。

悲しい事ではあるが、人の命には限りがあるんじゃのう。この半世紀で医学が飛躍的な進歩を遂げたにも関わらず、あの熱狂的な夜を共に過ごした仲間、同胞、尊敬すべき先輩方は、もはやほとんど旅立たれてしまった。
全員が「創新魂」を胸に抱え、生ききったと言える方達ばかりじゃった。

でも、ワシは寂しくはないんじゃよ。医学の恩恵を一身に受けたあのお方が今も健在じゃからのう。

高良高、おん年実に136歳。何とも見事な、実にあっぱれな「創新人生」である事よ。

※文中敬称略、基本的にところどころフィクションです

【レポート記載者 】
創新塾97期生・令和5年度幹事
有限会社共栄車輛サービス 代表取締役 田村俊一

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